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この物語はほとんどフィクションです

出かける10分前、最後にもう一度鏡の前に立つ。服は上から下まで新しく、玄関で僕を待っているスニーカーのソールはまぶしいくらいに白い。ヘアスタイルもなかなかきまっている。シャワーも浴びて歯磨きも3回した。デートコースはもちろん予習済みだし、彼女の手を取るタイミングもシミュレーションしてある。完璧に違いない。違いないのだけれど、何か忘れているような、なんだかいまひとつ決め手に欠ける気がするのはなぜだろう。

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玉ねぎと理髪店とサンダルウッド

一番好きな香りはと聞かれたら、筆者はすかさず、「みじん切りにした玉ねぎをバターで炒めているときの香り」と答える。もちろんこれを自分の肌から香らせたいかといえば全くそんなことはないのだが、純粋な嗅覚上の好みではこの香りにかなうものはない。

なぜか、といえばたぶんそれは思い出と深く結びついているからだろう。子どもの頃、母が作ってくれた料理にこの工程はよく登場した。学校から帰るとキッチンから香ばしいバターの香りがして、空かせて帰った腹をいっそう心許なくさせたものだ。フライパンを覗くと、あめ色になった玉ねぎがバターを纏ってきらきら輝きながら、これから完成する素晴らしい何かの礎になる準備をしている。今でもこの香りをかぐと、毎日全力で腹を空かせていた子ども時代とキッチンに立つ母の姿が思い浮かぶし、これら光景を思い起こすとどこからかあめ色の玉ねぎの香りがしてくる。記憶と香りは双方向にアクセスし合っている。

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香りを伝える

店舗へ香水を選びに行くと、「どのような香りがお好きですか」という質問によく遭遇するのだが、これを問われるたび筆者の頭の中はめまぐるしく空転する。たしかに好きな系統の香りはあるけれど、使っている香水はあまりに多岐にわたっているし、むしろ苦手なものを答えたほうが早いのではとすら思う。とはいえ苦手な香料が含まれていてもその香水自体は気に入ることだってあるので可能性は残しておきたい。
「はい。苦みのある柑橘から始まりベチバーやオークモスが中心にあり、あとは香辛料と若干のグルマンのエッセンスを感じる香りが良いです宜しくお願い致します。」などとは言えるべくもなく、結局、端からぜんぶ試していいですか…?と恐る恐る尋ねて、販売員の完璧な微笑をほんの僅か引きつらせる羽目になる。
香りという、目に見えない主題を持ちうるこの存在について言葉にするのは、実はとても難しいのだと思う。知り合いのフレグランス販売員から聞いた以下の話がこの小稿の示唆になった。

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季節を纏う

香水は4本持っておけという。要するに季節ごとの1本を持っておいたほうがいいということのようだ。

すると大抵、春は華やか、夏は爽やか、秋冬は甘い・重い香りに目が向くと思う。これはきっと、日本人にとって季節を感じさせる香りや空気感がある程度共通しているからだろう。桜や梅、雨上がりのアスファルト、青々とした草いきれ、金木犀、冷たく乾燥した空気…。こう聞くとそれぞれの香りをすぐに思い浮かべられると思う。さらに言えば永らく四季の中で生きているわたしたちは、香りという感覚で古の人々ともつながっている。

春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
              —凡河内躬恒

の和歌はいま詠んでも決して遠いところにない。香りは時空も超える。

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なりたい自分

「なりたい自分」になるとき、人はいくつかの手段を知っている。ファッションを変える、髪形を変える、メイクを変える、体型を変える、あるいは住む場所を変えるのもいいかもしれない。きっとほとんどの人が経験したことがあるだろうし、はてに自分の正解を見つけた人も、まだまだ迷い中の人もいるだろう。
これらは要するに「目に見える変化」だ。誰の目にも明らかな変化が訪れているという実感が、自分に自信をくれる。
では、「目に見えない変化」はどうだろう。内臓脂肪を減らす?心を変える?なるほどそれらが求められる日も来るかもしれない。しかし、この二つがどれだけ大変なことかわたしたちはよく知っている。「目に見えない変化」によって「なりたい自分」を目指すとき、いちばん手軽で確実な手段は香りをまとうことではないだろうか。

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